考えすぎ

なんだろうけど。

あぁ、嫌われちゃったよ。
私が○○をたくさんつけて、あんなことを日記に書いたから。

たぶん考えすぎ。でも怖い。
嫌われたと思うと、怖くなって避ける。それがよくないことだとわかっていながら。
相手が好意的な(と自分が解釈できる)働き掛けをしてこない限りは、それは消えない。でも相手から見れば、自分がこんな態度なら逆に嫌になってしまうだろう。
逆効果。
好意的な働き掛けのかなう確率を、自ら下げているのだ。

昔からそうだった。主に中学の頃にそうなったんだろうなと思うんだけど、嫌われたくないと常に思っているにもかかわらず、何故かボロが出て結果嫌われてしまう。
高校のときもそうで、クラスも部活も結果としてみんなと仲良くなれたから(=自分がみんなを信頼できたから?)いいけど、そうなるまでには時間がかかった。
後から考えてみたら疑っていたようで申し訳なくなるのだけれど、とにかく些細なことで一喜一憂し(いうまでもなく一憂の方が圧倒的に多い)、思考を総動員して「この人は私を嫌っている」という結論に持って行くのだ。
しかもそれは、一旦信頼しきった人に対しても起こり得る。そのたびにびくびくしながら「おうかがいを立て」ているとでも言おうか、ちょっとした会話なんかで様子を見る。
そう、大抵は杞憂なのだが。

ある人とついこの間話したことと見事にリンクしたので思うところを書いてみる。
私はなかなか自分を出さない。出せるのは…
信じられる人にだけ。
この人なら自分を受け入れてくれる、自信を持って接することができる、そう思える人にだけ。
つまり、向こうから「好きだ」と言って、あるいは態度で示してくれる人が一番信じられて、安心して自分を出せる、ということだ。
その最たるものが、「後ろ盾」と呼ぶところのものだ。
まさにご指摘通りで自分でもびっくりです。まいりましたm(__)m

最初は警戒した。
あらゆる人に対して言えることだが、もともと自信はなかったから、いくら好きだと言ってくれても、ちょっとでも粗相したら簡単に覆るものだと思っていたし、一度そうなると後戻りは容易にはきかないと思っていた。だから常に「いつ嫌われるか」とびくびくしていたと言っていい。
こと「後ろ盾」に関しては、始めから全く警戒していなかった特殊な例を除き、かなり警戒した。信頼できるようになってからでさえも、ふとしたことで揺らぐ。本当に不安になるのだ。失いたくないから。
もし自分から恋したら、いつも不安で不安でしょうがないだろう。簡単に想像がつく。最近も気になる人がいて、友人?としては仲良くしているけれど、そんなに深い知り合いにはなり得ていない。
いろいろ考えていたが、やはり、わかる。今の自分から察するに、ちょっとした会話からも不安要素を探し出し、嫌われたくない、失いたくないとびくびくし、ほかの女の子と仲良くしているのを見るとその子と比べて自責の念に駆られ、結局「不自然だ」とフラれるのが、よくわかる。
だから無理だろうと思って、諦めた。

長々と書いたが、こういった思考の元には、何よりまず人に認められなくてはいけないというか、存在許可制と言ったら言い過ぎだけど、人に受け入れられなければ自分の居場所が持てない、というようなおぼつかなさがあるように思う。
周りの評価を過剰に気にするのも、批判や注意を恐れて背を向けてしまうのも、まとめ役になるのが怖いのも、全部何らかの関係があるような気がする。

全くまとまりのない文章だ。失礼しました。