素直といふ事

逃げも隠れも偽りもしないで生きればいいんじゃないか。

いろんなことを考えたので支離滅裂な文章になりそうです。最初に断っておきます。
昨日上野のTタヤで本を3冊買ってうち1冊を一晩で読み切りました。話し方に関する本で(ほかの2冊は小説)内容が特に素晴らしかったというわけではないのですが、非常に参考になりました。
こと恋愛に関しては、いかに自分が今まで何もしていなかったのか、「プロセス」を全く考えずにだめだと思い込んできたのかよくわかって反省しました。
恋愛に限った話ではありませんが、今まで、本当に心を許したごく一部の人を除いては、いつも心の中に壁がありました。信じていなかったんですね。そして自分のことも信じられなかった。
会話するときも、何か話してかかわりを持ちたいといった気持ちだけで、当たり障りのない話をして何とかつなげることに終始していたように思います。そうなると結局自分が苦しむだけで、話した相手との距離は一向に近づかないのに、そんなことを繰り返しては嘆いていました。

集団の中にちゃんと居場所をもっているのは、オケでいえばうまい人でもなく、かわいい子でもなく、
その場において素の自分を出している人
だと思いました。
下手なことを多少後ろめたく感じながらも、いや、だからこそ周りとコミュニケーションをとって吸収できるものを見つけていく。下手なりによりよい音楽を目指す。完璧な人なんかいないし、いくらうまい人だって自分がうまいなんて思ってないはずだから、みんなそういう気持ちを持って集まっているものだというのは今考えればそりゃそうだろと思えます。いろんなところでよく言われることですが、ありのままの自分をさらけ出すことってやっぱり大事なことなんだなぁと今になってやっと実感しました。
下手で結構、バカで結構。完璧じゃなくても仲間はできる。
ということなんだろうと思います。まだできませんが。
昔はそれなりにうまくやっていけたのは、素直に生きていたからのような気がしてきました。特に隠すことなんてなかったし、隠す必要もなかったと記憶しています。当時は素直なところが自分の長所だと思っていたし、「素直なところがいい」と気に入ってくれた人たちもいました。が、新たな説によると、自分が素直だから気に入られたのではなく、素直になれる相手と仲良くなるものなのです。そう考えるといろいろと辻褄が合ってきました。
昔、弱みも全部話して仲良くなって付き合いそうになった人がいました。(わかりにくい?)最初は素直に接していました。いろんな表情を見せてきました。それが、不安が燻った途端に恐くなってしまってまともに相手の目を見ることすらできなくなってしまい、変なことを言って嫌われたら嫌だから当たり障りのない話しかしなくなり、最後に言われた言葉が
「不自然が嫌い 自然になりな!」
自分を抑圧してしまっているのは、他人から見てやっぱりわかるものなんですね。ちなみにこの人とは全然顔を合わせませんが、いい友達(?)だと思います、たぶん。

「考えすぎ」とよく言われます。
最近、人と話すといつも「とりあえずやってみなさい」といわれます。
本当に「とりあえずやってみ」ることがないのはよく自覚していて、とにかく不安が大きくて自信がないんだと思います。「考えすぎ」というのを言い換えると「やりもしないで、確かめもしないで、考える材料のないまま考えようとしているから答えが出ずに苦しむ」ということのような気がします。ようは自滅orz
失敗歓迎、大事なのはその後。
対人関係に関しては、無理だと思う前に、関心を示して自分を出した会話をして距離を縮めていくべき。

しかし実際は素直とわがままの区別がわからなくなりそうで不安で動き出せない、いまの自分。