昨日の夜、祭りの屋台について行きながら、対人関係について考えた。
嫌われたくなくて、傷つきたくなくて、硬い殻を作ってその中に閉じこもってる。他者はとりあえず敵認定。ちょっとでも会話がうまくいかなかったり自分が変な言動しちゃったりすると即「嫌われた」と思う減点方式。で怖いから避ける。
結果嫌われる。嫌われたくなくてとった行動により嫌われる。
明らかにおかしい。
心を開かなければならない。
開くのは数人でいいと友人は言った。確かにそれもそうだ。じゃあどうすればいいのか?正直わからない。
今の状態がおかしいのはわかるけど、どこをどう変えてどんな方向に向かえばいいのかわからない。
嫌われたと思うもんは思っちゃうし、どんな些細な言葉でも自分を責めるように聞こえるもんは聞こえちゃうし、そこを変えるなんていうのは洗脳でもしない限り無理なんじゃないかと思うんだけど。
あるいは客観的に論理的に追い込むか?そういう客観性とか論理性に自分は笑われている気がするから、それができるかどうかは疑問だけど。


そういえば、謙虚とか感謝とかいうのは何処に行っちゃったんだろうか、とふと思っちゃった。
かつて心から尊敬していた*1ある人は、その言葉をモットーにしていて、本当にそれを地でいくような人だった。*2
よくよく思い出してみれば、自分にないものを求めるようなもので、当時の自分が謙虚で感謝できていたわけでは決してなかった。けど一応「目指すべき姿」としてそれはあったように思う。まあ「愛する幸せ」を感じていただけ今より100万倍マシだ。
今の自分はどうだ。空気や人目を気にしているくせに、結局人に嫌われる言動ばかりで、誠実さの欠片もない。自分本位で人に感謝できない自分が本当に嫌だ。正直に言うけど、今は何とか「ここはありがとうって言う所だ」って気付いたときだけそれらしく「ありがとう」って言ってみることしかできない。
入院して人のありがたみが身にしみるのかと思ったら。ほんと、死ねばいいのに。*3

*1:過去形は変かなと思ったが、尊敬という気持ちそのものが遠ざかってしまったことに気がついた

*2:こっちは過去形にしてはいけないと思うが

*3:とまでは本当は思っていないけど、強く否定するための言葉が他に出てこなかった